将来の夢がない私がドラッグストアで栄養士になるまでの話。

時がたてば大人になっていく。短い時間の中で人生を選択するわたしたち。

 

 

今回は自分のことを少しお話したいと思います。特に将来の夢のない私がどうやって就職したかというお話です。

 

私のむかしばなし。

 

将来の夢?

自分のやりたいことは気がすむまでやり、興味のないことには集中力が皆無、そして特に夢のない子どもでした。中学生のころ母親が心配して【13歳のハローワーク】という本を買ってくるほど、特に何に対しても関心がない子どもでした。

将来の夢を書く授業では、大概【ケーキ屋さん】とか【お花屋さん】とか、いかにも女子が言いそうな夢を書いてありきたりな将来像を思ってもいないのに謳ったものでした。そういうことができてしまうのでずる賢さはあったと思います。

 

好きなことと言えば、物心ついたときから家にあったゲームと、イラストを描くことくらいでした。
周りからは天真爛漫だと言われていましたが、心の奥底は物事を冷静に判断し、諦めも早く飽きも早い子どもでした。

頑張ったらご褒美を買ってあげると言われても、釣られることなく自分のペースを貫く子どもでした。

 

そんな感じでしたから特に勉強する意味も見いだせず、成績は真ん中くらい。自分が困らない程度の成績をとっていました。
メイクやファッションにも特に興味がなく(どうせ大人になったらずっとしなきゃいけないことだから)目立つタイプではありませんでした。

授業態度はそれなりで(先生に覚えられているかも危ういが)提出物は必ず出していたので高校、短大は推薦をいただいて入学することができました。

 

栄養士になるきっかけ

 

 

そんな私の人生を左右したのは高校卒業後の進路をどうするか悩んでいたときでした。
高校時代、イラストが好きな友達と出会うことができ、イベントに参加していたこともあって絵の専門学校に行きたいなーとやんわり思っていました。
しかし心の奥底で冷静な私はどうせ中途半端に好きなだけだから仕事にもできないのだろうと思っていたのです。

 

母親に相談したところ、将来食いっぱぐれることのないように手に職をつけてほしいとのことでした。
そこで提案されたのが家から通える少人数制の栄養士免許が取得できる短期大学でした。
先に述べたようにやんわり専門学校に通いたかっただけの私は承諾しました。

私は母親がある程度年齢を重ねてから産まれたので、ずっと「誰に頼らなくとも自分の力で生きていく力をつけなさい」という教育を受けていました。

ですから母親の手に職をつけてほしいという願望もすんなり受け入れられたのです。

 

将来の夢ではなく目標が決まる。

短大に入学し、あっという間に時間は過ぎて行きました。そもそも料理を作るのがそれなりに好きだったため、授業もすんなり頭に入ってきました。

好きだったイラストも趣味の範囲内で楽しみ、ゲームも相変わらず日課でした。
この頃からファッションにきをつかうようになり、メイクの腕もメキメキ上達しました笑(機会があればなぜファッションに目覚めたかという記事を書きます…)

 

2年生になると一週間の病院実習が始まりました。それまでは卒業後なんとなく栄養士として働いて生きていくつもりでしたが、病院実習に行った私の考えは一転しました。

 

実習はプロが働いているところを身近にみられる貴重な時間。病院実習の日数を重ねるにつれて、「私は卒業後、何となく就職してただメニューを考えて調理場にこもってパートさんと調理をするだけでいいのだろうか?」という疑問が浮かびました。

 

実習先の管理栄養士さんはかなりのキャリアウーマンだなと肌で感じることができました。患者さん達の言葉をきちんと聞き、なるべく患者さん達の趣味嗜好に合わせた料理を提供していました。

私も栄養士になるなら、ちゃんと患者さん達のニーズに応えられる栄養士になりたい。
という将来の夢などというキラキラしたものではなく、自分が社会に出てどんな立場になりたいかという明確な目標ができました。

 

しかし、国家資格を持つ管理栄養士ならともかくただの栄養士です。通常の病院や施設、学校ではただ単にメニューを作成し調理をこなすだけの単調な仕事になってしまうでしょう。
真剣に就職先について考えるようになりました。そんな目標が決まったのが2年生の7月の中旬ごろでした。

 

 

くろ
見た目はとってもギャルなのに意外にまじめだったんだね。

 


自分の進路を決めるタイミング、遅いと思いますよね。しかし私たちの短大は少人数制ですし、卒業生が優秀だったことから地元で就職する人たちは企業の方から声がかかるので、実はよっぽど成績が悪くない限りのんびりしてても就職が決まってしまう短大だったのです。

私もそれでよかったはずでしたが、目標を決めてしまった以上それに向かわねばなりません。
なにせやりたくないことはやらない性格なので、ただなんとなくで決めてしまった就職がうまくいくとは思えなかったからです。

 

「なにかをするなら意味があり後悔をしないことを選択する。」

 

知らず知らずのうちにそういう思いで生きていました。

当時住んでいたところは田舎でしたので、栄養士の就職先といえばやはり地元の病院や介護施設、小学校などでした。

どうしようかと悩んでいた時によく読んでいたファッション雑誌に、人気な職業の特集が載っていました。
その中に栄養士もあり、内容に目を通した私に一筋の希望の光が差しました。

雑誌に掲載されていた栄養士の方は、小規模のクリニックで患者さんの栄養管理のみを受け持っていたのです。訪れた患者さんに栄養面からアドバイスし、普段の食事を提案・管理するという仕事をしていました。

 

なんだか腑に落ちたのです。今まで悩んでいたのに急に安心感が生まれたというか…これなら私も納得して働くことができる。そう思いました。

 

…しかしそう簡単に希望する就職先は見つかりませんでした。

 

ドラッグストアに出会うまで

早速次の日から的をしぼり就職先を探し始めました。とはいえ今まで栄養士の学校に通っていながらこんな働き方があるなんて知らなかったものですから、雑誌に載っている栄養士さんはよほど特殊な例だろうと思っていました。

 

案の定先生に聞いても地元でこのようなクリニックはないとのことでした。学校の七光りに頼らず、自分の力で何とかするしかないと毎日求人を眺めていました。

個人的には一人暮らしをしたかったのですが、家庭の事情で親元は離れられないことになっていました。

田舎にはこんなクリニックはないし、あったにしても管理栄養士でなければ患者さんの栄養管理だけをするような特殊な業務には就かせてもらえないでしょう。

 

どうしようと考えていた時に当時アイスクリーム屋さんでアルバイトしていた私は「接客で栄養士は雇われてはいないのだろうか。」という考えに至りました。接客の際にお客様から症状を聞き、食に関するアドバイスができるのでは?と考えたのです。

 

早速検索をかけてみると「ドラッグストア」が何件かヒットしたのです。

大学卒業が条件のドラッグストアもありましたが、私が目をつけたのは「地域密着型」のドラックストアでした。栄養士の雇用に関する情報もしっかり掲載されていて、その内容は私の理念と合致しました。さらには地元にも二件そのドラッグストアがあったのです。(存在を知らなかった)

お給料も普通の栄養士なら手取りで12万程度しかもらえないところ、当時は手取りで16万いただけるとのことで「もうここしかないじゃん!」と、当時20歳の私は若さと直感で早速正社員の試験を受けることにしました。

(今思えば16万は少ないのでしょうが、栄養士基準からすると多いと感じたのです。)

 

三次試験までするの?

夏休みに入っても特に目立った就活をしている人はいませんでした。私はみんなと違う道を選んだのだから誰よりも先に努力しないと…と思い、初めてのことなので不安で仕方ありませんでしたが、特に誰に相談するわけでもなくエントリーシートを書いて応募しました。

 

最初は筆記試験がありました。年上の友達が仕事終わりに数学を教えてくれたり、母親が新聞の切り抜きを持ってきて自治問題に関しての知識を与えてくれたり、今思うとたくさんの人に支えられていました。

 

筆記試験の後にそのまま集団面接がありました。そのときの最初の質問が「今の就活状況をわかる範囲でいいので教えてください」というものでした。

(わかるもなにもここ以外受けてねぇぇぇぇぇ!!!!)

という焦りが汗となり流れてきました。

ほかの就活生は大学生ということもあり、どこの企業を受けたとか内定はいくつもらっているとか、うらやむほどの実績。

 

嘘をつくわけにもいかないので、正直に笑顔で

「御社一筋です!ここ以外考えていません!」と言いましたが

 

「まあ、短大は就活遅いからね(笑)」

 

と、一刀両断されました。

(終わったわー。絶対落ちたじゃん!)

そのあとのことはよく覚えていませんが、とにかくずっと笑顔でした。受け答えとか全く覚えていませんが笑顔を作り続けることは忘れませんでした。接客するのですから、笑顔で損することはないと思って。

 

それが功を奏したのか、かわいそうだと思われたのかはわかりませんが無事に一次試験を合格しました。

 

次に近くの店舗を見学してレポートを提出するという課題が課せられました。こちらが二次試験の内容でした。

書くことは嫌いではありませんでしたが…文章力はこのブログを読んでの通りです。

大学生たちはPCを使っておしゃれなグラフなんかいれたりしてレポートを書くのでしょうが、田舎暮らしでPCなんて必要もなくそもそも裕福ではなかったので手書きで思いをこめて根性で書き上げました。

近隣店舗と自分が受けた企業との比較や、接客に対する要望なども書いた気がします。

 

これまた基準はわかりませんが二次試験も合格をいただくことができました。

 

最後の三次試験はグループディスカッションでした。グループディスカッションなんて生まれてこの方やったことはありませんでしたが、この日はなんだかテンションが上がっていたのでうまくいく気がして試験前に同じグループの就活生から笑いを取っていました。

今思うと何をやっていたんでしょうね(笑)でも相手はライバルかもしれませんが、どうせやるなら楽しいほうがいいと当時の私は思ったんだと思います。

グループディスカッションはうまくいき、終わった後に就活生から「あなたが笑わせてくれたおかげで緊張がほぐれました。」と、お礼をいわれました。(女子に対する誉め言葉ではないと思いましたが(笑))

 

果たして結果は

 

手ごたえはあったもののやはり結果が出るまで緊張していました。通常は並行してほかの企業も受けるものなのでしょうが、なにせもうここで働きたいと思ってしまったものですからほかの企業のことなんて考えもしませんでした。

そんな自分の浅はかさに嫌気がさしたり、もし落ちていたらいったいどこで働けばいいのだろうと少し途方にくれたりもしました。

 

 

このころには夏休みも明け、通常の授業が始まっていました。午後、解剖学の授業を受けているときに携帯が鳴りました。試験を受けたドラッグストアからでした。

事前に先生に許可を取っていたため、そのまま教室を出て電話を取り息をのんで相手の言葉を待ちました。

 

見事合格していました。そのまま淡々と説明会の話をしてくるものですからあわててメモを取り電話を切りました。

教室のドアを開けると先生を含めクラス全員がこちらを見ていました。

 

「内定いただきました。」

 

というとみんな大喜びしてくれました。私がクラスで内定した第一号だったからでしょうか。

先生も嬉しかったのか、早く帰りたかったのかわかりませんが、90分授業のうちのまだ50分しか経っていないのに授業を切り上げました。

 

このような経緯で私はドラッグストアに就職することができました。

 

 

おわりに

いかがでしたか?

同年代の子は昔からスポーツや音楽を頑張って将来〇〇になるんだと目を輝かせて言っていたのを覚えています。私は回りとは違いました。本当にやりたいことが見つかりませんでした。

実は今でもそうです。そのことや考え方は後日また記述させていただくとしましょう。

 

とにかく当時はやりたいことはないけど就職はしなきゃと思っていましたが、実習に行ってやりたいことではなく目標を決めるという考え方にシフトしてからだいぶ物事がトントン拍子に進みました。

そもそも人生の半分も生きていない私たちが心の底からやりたいことを見つけるなんてすごいことなのでは?とすら思います。(笑)

 

この記事がどなたかのお役に立てたなら本望です。

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ABOUTこの記事をかいた人

くろねこ

登録販売者としてお薬を販売している気まぐれ女子。 登録販売者をはじめ、栄養士、英検準2級、化粧品検定1級、医療秘書などの資格を持つ。知識をつけるのが好き。無作為に情報収集をしている。アニメ、イラスト作成、ゲーム、料理、雑貨、メイク、ファッション、歌、占いなどが好き。多趣味。